大阪府が指定した名勝は府内でたった7つ。なんとその中の一つに能勢町天王にある「枯山水庭園」が選ばれているのです。長杉寺(ちょうさんじ)の書院西側にある斜面が、その枯山水庭園です。江戸時代中期に作られた250年以上前の庭園を、ご住職は今も心をこめて管理されています。お庭鑑賞が目的で訪れたのですが、本堂入り口で来訪者を圧倒する巨大な梁と吊られた駕籠に驚き、お願いして本堂内を見せていただいたところ...。 (※建物内部は一般公開しておりません)
庭園には、池を中心にした「池泉庭園」、茶室に面して造られた「露地庭園」、水を使わず白砂や石組み、苔や樹木などで構成された「枯山水庭園」の3種類があります。枯山水庭園は、京都の禅寺に数多く見られる様式で、見る人の感じ方が問われる芸術性の高い庭園なのです。
↑こちらが大阪府指定名勝の枯山水庭園です。
大阪府ホームページの解説によりますと…
「山裾に多数の石組みを段状に配置し、中央には枯滝が組まれています。石の間にバランスよく植えられたサツキやヤブコウジなどの植物が庭石組みによく調和し、趣をそえています。」
枯れた滝…。
どこかわかりますでしょうか?見える人には滝が見えるのでしょうね。
こちらの庭園はプロの庭師に依頼することなく、ご住職自ら手入れをされているそうです。石間のサツキも丁寧に刈り込まれていました。これだけの敷地(300坪)を維持管理することの大変さは容易に想像できますが、大阪の数少ない「名勝」をこれからも守り続けていただきたいです。
※名勝(めいしょう)・・・日本における文化財の種類のひとつで、芸術上または観賞上価値が高い土地について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。
長杉寺の前身は剣尾山月峰寺の坊舎「地蔵院」。江戸時代のはじめに焼失し、1640年(寛永17年)に再建されたとのこと。そのとき京都のお寺から招聘した和尚が担がれてきた「駕籠」が今も残っているのです。
※駕籠(かご)・・・人を乗せて人力で運ぶ乗り物のこと。人が座る部分を一本の棒に吊し、複数人で棒を前後から担いで運ぶ。江戸時代まではよく使われた。
写真左上がその駕籠です。駕籠が現存していることもすごいのですが…巨大なカーブを描いた梁の存在感に圧倒されます。能勢町内にも貴重な古民家が数多く残っていますが、トップクラスの大きさではないでしょうか。
これは奥の部屋にもきっと何かあるに違いない…。ご住職に無理をお願いして、本来非公開の書院に通していただきました。
黒と金の渋い常花で設えられた仏壇の間を通り過ぎると…
なんと襖の引手に螺鈿細工の菊文様が!
…こんな細かいところにまで装飾が施されていることに感動です。
「すごいですね」カメラマンも思わず反応していました。
そして襖の開いたその先には…
!!!思わず息をのむような、見事な水墨画が!!
長杉寺には枯山水のお庭だけでなく、能勢町唯一の大規模な障壁画が残っているお寺なのです!
写真は「梅の間」です。
二股に分かれた老梅の大木が襖8枚にわたって枝を伸ばす大胆な構図。
墨の濃淡だけで、ここまでの表現ができるとは。モノトーンの水墨画を表現するのに適切な言葉ではないかもしれませんが、「鮮やか」です。
見る人には、月明かりに照らされた満開の梅が見えるはず…。
同じ梅の間に鎮座ましますのは薬師如来像。左右には不動明王と毘沙門が脇を固めます。三尊とも制作時期は平安時代まで遡るとか。
梅の間以外には竹の間もありまして、群生する竹が描かれていました。こちらも引手には凝った彫り物が。手足がタコのように伸びた不思議な生き物です。
最後に通された一番奥の客間が「菊の間」。こちらは岩塊上に野菊や山路の秋草が精密な筆致で描かれており、襖6面を使って表現されています。(元治元年・1864 菜頓画)
「しだれ野菊」とでも言いましょうか。ゆったりとられた余白から空間の妙を感じさせる構図。
人を寄せ付けない切り立った岩とほっこりするような野菊の対比が心に安らぎを与えてくれます。畳に落ちた光さえも美しい。
今回長杉寺を案内してくださった、ささゆり学園の辻先生(右)とご住職。
貴重なものをひとつひとつ丁寧に紹介していただき、本当にありがとうございました。
(庭園は一般公開されていますが、建物内は非公開になります。問合せもご迷惑になりますのでご遠慮願います)
長杉寺 | |
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住所 | 〒563-0371 大阪府豊能郡能勢町天王441-1 |