さとふる能勢町へ

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「 世界を舞台に公邸料理人として活躍したシェフが大阪の里山を選んだ『能勢 日本料理 新』 」

世界を舞台に公邸料理人として活躍したシェフが大阪の里山を選んだ『能勢 日本料理 新』

新型コロナ渦中の2021年。
能勢町山辺の高台に建つ一軒の古民家が、美しいレストランに生まれ変わりました。
夜になるとお店の灯りがともり、漆黒の山の中で一際目立つランドマークになっています。

上質な日本料理と豊かな時間が堪能できる「能勢 日本料理 新」。
店名には「新しい」場所で「新たな」挑戦をしようという店主の想いが込められています。

手掛けたのは、公邸料理人としてベルギーで腕を奮っていた若きシェフ、中井 建さん。

それまでまったく縁のなかったという能勢町を創業の地に選んだのは、何か深い理由があるはず。
奥様の知栄子さんと二人三脚でお店を営んでおられる中井シェフにお話を伺いました。

京都生まれの中井さん。ご実家が仕出し料理を提供する日本料理店ということで、料理の道に進むのは当然の流れだったようにも思えますが…。

「いえいえ、まったく料理人になることは考えていませんでした。幼い頃はサッカーに明け暮れていましたし、そもそも飲食の世界には良いイメージがなかったんです。長時間労働だし、土日も仕事ですし。」

意外な答えが返ってきました。それでも結果的に料理の道に進まれたのは、何故なのでしょう。

「高校に入って進路を決める頃になったとき、自分を表現できる料理の世界もいいなあと思いはじめたんです。当時イタリアンの全盛期で、メディアで紹介されていたシェフに憧れを抱いていたんですね。料理の専門学校に通いながらイタリアンのお店でもアルバイトをしました。技術を学んでいくうちに、『これはもうヨーロッパに行くしかない』って。居ても立っても居られない気持ちになり、渡欧しました」

ヨーロッパに飛んだ中井さんは、郊外の三つ星レストランを訪問し、ここで修行させてほしいと直談判。
するとオーナーシェフからこんなことを言われたそうです。

『君は料理人か?』

「いえ料理人ではなく、専門学校で料理を学んでいる者です」

『日本から来たということだが、日本料理はできるのか?』

「西洋料理を学んでいるので、日本料理はできません」

『日本料理はこれから絶対に世界で評価される時代が来る。だから今すぐ日本に戻って日本料理を勉強しなさい。5年経って、それでも西洋料理がやりたければ再びここに戻ってきたらいい』

このやりとりが、中井さんに大きな影響を与えました。日本料理のことをもっと知りたい。心に火がついた瞬間でした。

三つ星レストランのシェフからのアドバイスに素直にしたがった中井さん。帰国して専門学校を卒業したのちに、京都・祇園の料亭や大阪・北新地の鮨店で働き、日本料理の研鑽を積みました。



そして運命の出会いから10年後、和食が「世界遺産」に認定されました。
「日本料理が世界で評価される時代が来る」…シェフの言葉が現実になったのです。

中井さんは、あらためてヨーロッパに向かう決心をします。
次に目指したステージは「公邸料理人」。
一般にはあまり聞き慣れない職業ですが、一体どんなお仕事なのでしょう。

「公邸料理人というのは世界に250カ所以上ある大使館や総領事館の専属料理人で、外交活動を料理で支えるのが仕事です。日本料理の修行を重ねていく中で、いつか日本の文化を世界に広めたいと望んでいた私の想いにも重なるところが多く、思い切って応募したところ、採用していただきました。

そして欧州連合日本政府代表部に赴任することになるのですが、当時は結婚していて、子どももまだ小さかったんです。そんな中で妻が背中を押してくれたのは有り難かったですね」

ベルギーに単身渡った中井さんは、総料理長として忙しい日々を送ります。

「職場」はEUの大使館、「ボス」である特命全権大使はEU各国との交渉などを行う、まさに日本の代表です。

各国の要人や外交官など様々なゲストが招かれ、パーティーやお茶会が行われる公邸。超一流のVIPがお客様ということで、料理長としてのプレッシャーも相当なものがあったに違いありません。任期中に苦労されたことを伺ってみました。

「私が働いていたのは世界の要人が招かれる場所です。万が一、食中毒が起きてしまったら取り返しがつきません。料理にはいつも細心の注意が必要でした。

ハラルと言われるイスラム教を信仰する方が食べれないものにも気をつけていました。海外ではヴィーガンの方やグルテンフリーを希望される方なども多いです。様々な要望に応えつつ、日本料理の奥深さを味わってもらうことを意識していましたね。

実際は口で言うほど簡単ではないんです。例えば日本料理に欠かせない醤油は小麦が入っており、グルテンフリーではありません。カツオ出汁はヴィーガン向けの料理には使えません。そのような難しさはありましたが、毎日が真剣勝負と思って創意工夫で乗り越えてきました。

公邸に来られるお客様は普通に暮らしていたら絶対に会えないような国を動かす要人ばかり。食事の最後にご挨拶に伺うのですが、毎回拍手で迎えていただくことが一番の励みでした。張り詰めていたものが一気に解けて、この仕事に就いて良かったと心から思える瞬間です」


4年の任期を終えて、日本へ帰国した中井さんは自分のお店を開くという夢に向かって進んでいきます。頭の中に浮かんでいたのは都心から離れた郊外のレストラン。ベルギー時代のある体験がイメージの源になっていました。

「公邸料理人をしていたとき、仕事の休み期間に「アラベル・メイルラン」という一つ星レストランで働かせてもらっていたんです。中心部から一時間くらい離れた場所にあってカーナビでも迷うようなところです。

田舎なので近くに大きな市場はありません。シェフは料理に使う野菜を自家菜園で栽培していました。使わない根や葉の部分も余す所なくスープの出汁として使います。出汁ガラも再び肥料として畑に戻していました。

鶏も飼っていましたが、飼料として与えていたのは日常的に出るパンくずです。他にもエディブルフラワー(食用花)の受粉のために養蜂をするなど、やっていること全てが理にかなっているんですよね。サステナブルな仕組みが無理なく実現できていることに感銘を受けました。

自分が店を出すと決めたときイメージしたのは、この「アラベル・メイルラン」での体験です。最近は木の輪切りをお皿に使っていたり、自然を演出に取り入れている店が増えてきていますが、都会でそういうことをしても説得力に欠けると感じました。郊外だからこそ、自分のやりたいことが無理なく実現できると思ったのです」

中井さんが話されているとき、窓の外には雪が…。実はこの景観も中井さんの料理にとって欠かせない要素です。

「店内を設計するとき、窓からどのように風景が見えるか、ということは凄く意識しました。春になると目の前の桜が満開になりますし、田植えが始まれば眼下の田んぼは真っ青に変わります。秋になると遠くに見える山々が美しく色づく。今は冬ですが、窓の外に舞い散る雪を眺めながら、ここで冬ならではの味覚「熊鍋」を味わっていただいたら、他にない経験として心に刻まれるはずだと思っています。

能勢は大阪、京都の中心部から車で一時間ほど。これを遠いと思われる方もいるかもしれませんが、ヨーロッパでは移動の時間も楽しみの一つなのです。都会から郊外に移る道中で四季の自然を感じてもらい、お店に着いてからもゆったりとした時間を過ごしてもらう。そのようなスタイルが、これから日本でも定着してもらえたらと期待しています」

様々な経験を重ね、満を持して船出した「日本料理 新」。

今や全国から多くのお客様が足を運ぶお店になりました。はじめて能勢を訪れる方も多いと聞きます。皆さんの反応が気になりますが…。

「茨城や鳥取など遠方から来ていただくこともあります。能勢町を知らない方のために特産品である銀寄栗や珍しい山菜などを提供しています。能勢産の野菜も多く使いますが、素材がグッと引き立つような調理を心がけていますね。

見慣れたカブなどは普通に炊くのではなく、タルトにしたり西洋風の調理をして変化をつけ、逆に銀寄栗など、素材そのものの良さがある食材はシンプルな形でお出しします。

里山そのものを味わってもらうことに重きを置いているので、近隣から鹿肉や熊肉を取り寄せることもあります。お客様からは『こんなの見たことない、食べたことない』と喜んでいただいています」


数年後には万博開催も控えている大阪。大阪の里山として「能勢町」の可能性についてお聞きしました。

「日本が好きな外国人観光客は、京都や大阪の有名スポットはほとんど行き尽くしています。そんな中で能勢は都市部からちょうど良い距離にある里山で、ほとんど外国人には知られていない。彼らは常に新しい「体験」を求めていますが、能勢で体験できること、ここでしか味わえないものは沢山あると思っています。

最高級のものや特別なものは必要ありません。この土地で当たり前のようにあるものに価値があります。フランスのブルゴーニュ地方では毎年シーズンになると、あちこちで葡萄の収穫体験が行われていて多くの観光客が参加しています。能勢でも栗や地酒をテーマに体験を絡めたツーリズムを企画すれば必ず反響があると思います。

大切なのは、企画に関わる人たちが同じ方向を見ていること。生産者の方、料理人、行政や教育関係者など、それぞれが価値観を共有している必要があります。銀寄栗は有名だから価値があるのではなく、それを支える人々の情熱があるから価値があるのです。例えば私が栗を分けていただいている生産者さんは無農薬の安心安全な栗を届けるために、木が生えている地面の土壌改良に熱心に取り組んでおられますが、そのような「背景にあるもの」を正しく伝えることは、素材を美味しく調理することと同じくらい大切なことだと思っています。

地元の方々と手を組みながら、風土から価値を引き出すレストランになりたいのです。能勢を昔の環境に戻すことはできなくても、今の環境を守ることはできるはずです。ここにある豊かさを多くの方と分かち合っていけたら素晴らしいですね」

世界を舞台に公邸料理人として活躍したシェフが大阪の里山を選んだ『能勢 日本料理 新』
能勢 日本料理 新 (あらた)
住所大阪府豊能郡能勢町山辺1136
TEL 072-703-9747(完全予約制)
休業 月曜日
site https://www.nosearata.com/
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「のせむすび」は、能勢町で生活する人々の暮らし方や仕事ぶりなどを取材し、大阪のてっぺんから様々な情報を伝えるメディアです。
今まで知らなかった能勢の人やモノに出会い、新しい価値が広がり、この地に幸せな循環が生まれますように。

のせむすび

能勢町は大阪府の最北端(てっぺん)に位置する人口9500人の町です。美しい棚田や樹齢千年以上の大ケヤキ、浄瑠璃やだんじりなど、先人から受け継いできた自然環境や伝統文化が残っています。
大阪・京都・神戸から1時間程で行ける、都会から一番近い里山です。

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