森上の元吉岡理髪店から、元暮部菓子店(でっちようかんの老舗)までの坂道を神楽坂といい、その命名碑が建てられています。 この碑は元吉岡理髪店に近い北側にある石垣の上、藪の中にあるのであまり目にすることはありません。
この坂道は別名「いやん坂」と江戸時代よりずっと言われてきたのは、それなりの理由がありました。
実はいまの森上駐在所付近には「 土牢 」といわれるものがあり、斜面に横穴をあけて罪人を牢していました。土牢の前には今の警官にあたる番太郎がいて、罪人の処刑もここで行われていました。
明治以降、今の警察制度になって駐在所は能勢町片山や今西に設けられ、 土牢 だけが残されました。そのため番太郎時代から誰ともなく、嫌な坂「いやん坂」の名で呼ばれるようになったと推測されます。
この「いやん坂」は、昭和9年に森上駐在所が建築されたとき、「 土牢 」は敷地の一部となって消滅しました。
「神楽坂」の名前は、ときの岐尼神社神官、植村稲太郎の発案で、碑の刻字も氏の筆によるといいます。おそらく人々の忌み嫌った坂の名を祓い清めて、「神楽坂」という神々を慰める歌舞を意味する名前に変えられたようです。