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「 【森上の神楽坂】いやん坂(嫌な坂)の名で呼ばれた坂が神々が舞う名に変えられた理由 」

【森上の神楽坂】いやん坂(嫌な坂)の名で呼ばれた坂が神々が舞う名に変えられた理由

森上の元吉岡理髪店から、元暮部菓子店(でっちようかんの老舗)までの坂道を神楽坂といい、その命名碑が建てられています。 この碑は元吉岡理髪店に近い北側にある石垣の上、藪の中にあるのであまり目にすることはありません。

この坂道は別名「いやん坂」と江戸時代よりずっと言われてきたのは、それなりの理由がありました。
実はいまの森上駐在所付近には「 土牢 つちろう 」といわれるものがあり、斜面に横穴をあけて罪人を牢していました。土牢の前には今の警官にあたる番太郎がいて、罪人の処刑もここで行われていました。

明治以降、今の警察制度になって駐在所は能勢町片山や今西に設けられ、 土牢 つちろう だけが残されました。そのため番太郎時代から誰ともなく、嫌な坂「いやん坂」の名で呼ばれるようになったと推測されます。

この「いやん坂」は、昭和9年に森上駐在所が建築されたとき、「 土牢 つちろう 」は敷地の一部となって消滅しました。

「神楽坂」の名前は、ときの岐尼神社神官、植村稲太郎の発案で、碑の刻字も氏の筆によるといいます。おそらく人々の忌み嫌った坂の名を祓い清めて、「神楽坂」という神々を慰める歌舞を意味する名前に変えられたようです。

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「のせむすび」は、能勢町で生活する人々の暮らし方や仕事ぶりなどを取材し、大阪のてっぺんから様々な情報を伝えるメディアです。
今まで知らなかった能勢の人やモノに出会い、新しい価値が広がり、この地に幸せな循環が生まれますように。

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能勢町は大阪府の最北端(てっぺん)に位置する人口9500人の町です。美しい棚田や樹齢千年以上の大ケヤキ、浄瑠璃やだんじりなど、先人から受け継いできた自然環境や伝統文化が残っています。
大阪・京都・神戸から1時間程で行ける、都会から一番近い里山です。

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