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「 【瑞祥山 ずいしょうざん  本光寺】幕末期の住職だった白巌による石造彫刻が周辺に多数遺されている 」

【<ruby>瑞祥山 <rt>ずいしょうざん</rt> </ruby> 本光寺】幕末期の住職だった白巌による石造彫刻が周辺に多数遺されている

臨済宗妙心寺派の寺院で山門を潜るとすぐに本堂があり、鐘楼と山門がシンプルに配置されている寺院です。幕末期の住職である白巌は石造彫刻を得意としていました。釈迦三尊石仏や多宝塔、大黒天像板碑など、多数の石造彫刻が遺されています。

瑞祥山(ずいしょうざん)本光寺は、臨済宗の寺院で、法常寺(亀岡)の末寺として寛永5年(1628)に開創された寺院です。

半鐘は文政11年(1828)に鋳造されました。

幕末期の住職である白巌は石造彫刻を得意としていました。釈迦三尊石仏や多宝塔、大黒天像板碑など、多数の石造彫刻が遺されています。

 

白巌和尚作の三地蔵。両サイドの台座は狛犬、真ん中は蛇と思われる。白巌和尚の遊び心が感じられる。

 

当日ご案内をしてくださった能勢町観光ガイドの会の会長である川合さん。触っているのは6面に地蔵が彫られた非常に珍しい六地蔵

 

寺の境内には大正昭和期の俳人で湯室 月村の句碑が残っています。
「藪入りの 布団の中や 親拝む」


「薮入り」とは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中などが、正月と盆に実家へと帰ることができた日のこと。

湯室 月村
大阪府能勢郡山田村出身。(本光寺の近くが生家)18歳で青木薬舗に奉公し、青木月斗(月兎)に師事。「日本新聞」「ホトトギス」などに投稿し、のち「車百合」「カラタチ」「同人」などに参加。月斗没後の昭和28年「うぐいす」を創刊主宰。句集に「能勢」があり、田園作家として知られた。

【<ruby>瑞祥山 <rt>ずいしょうざん</rt> </ruby> 本光寺】幕末期の住職だった白巌による石造彫刻が周辺に多数遺されている
【瑞祥山 本光寺】
住所 大阪府豊能郡能勢町山田108
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「のせむすび」は、能勢町で生活する人々の暮らし方や仕事ぶりなどを取材し、大阪のてっぺんから様々な情報を伝えるメディアです。
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能勢町は大阪府の最北端(てっぺん)に位置する人口9500人の町です。美しい棚田や樹齢千年以上の大ケヤキ、浄瑠璃やだんじりなど、先人から受け継いできた自然環境や伝統文化が残っています。
大阪・京都・神戸から1時間程で行ける、都会から一番近い里山です。

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