臨済宗妙心寺派の寺院で山門を潜るとすぐに本堂があり、鐘楼と山門がシンプルに配置されている寺院です。幕末期の住職である白巌は石造彫刻を得意としていました。釈迦三尊石仏や多宝塔、大黒天像板碑など、多数の石造彫刻が遺されています。
瑞祥山(ずいしょうざん)本光寺は、臨済宗の寺院で、法常寺(亀岡)の末寺として寛永5年(1628)に開創された寺院です。
幕末期の住職である白巌は石造彫刻を得意としていました。釈迦三尊石仏や多宝塔、大黒天像板碑など、多数の石造彫刻が遺されています。
寺の境内には大正昭和期の俳人で湯室 月村の句碑が残っています。
「藪入りの 布団の中や 親拝む」
「薮入り」とは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中などが、正月と盆に実家へと帰ることができた日のこと。
湯室 月村
大阪府能勢郡山田村出身。(本光寺の近くが生家)18歳で青木薬舗に奉公し、青木月斗(月兎)に師事。「日本新聞」「ホトトギス」などに投稿し、のち「車百合」「カラタチ」「同人」などに参加。月斗没後の昭和28年「うぐいす」を創刊主宰。句集に「能勢」があり、田園作家として知られた。
【瑞祥山 本光寺】 | |
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住所 | 大阪府豊能郡能勢町山田108 |