延喜式神名帳に記載されている「式内社」の一つ(格式が高い)で、近くの天神山に
枳根命
が降臨し、村人達が臼(うす)の上に杵(きね)をわたし、
荒菰
を敷いて迎えたという伝説が残っています。
※荒菰=むしろのこと
延喜式神名帳
とは、今から1100年前にまとめられた全国の神社の一覧のことです。
この一覧に掲載された神社を「式内社」と呼び、格式が高いと言われています。国・郡別に神社がまとめられていて、祭神、社格などが記されています。
この延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社であり、そこに鎮座する神の数は3132座となっています。
能勢には3つの「式内社」があります。野間の大ケヤキのある東郷地区に野間神社。能勢町宿野にある久佐々神社。そして能勢町森上にある岐尼神社です。
延暦元年(782年)に建てられた岐尼神社の祭神は「
瓊々杵尊
」という日本神話に出てくる神のほか、この神社の由来である「
枳根命
」という神が祀られています。「
枳根命
」が近くの天神山に降臨したときに村人は臼(うす)の上に杵(きね)をわたし、
荒菰
を敷いて迎えたという伝えがあります。
(能勢町史1、739P)
この神社において特筆すべきは主神である、「瓊々杵尊」の坐像背後に書かれている「奉勧請瓊々杵大明神至元五卯九月吉日」の墨書に記されている至元という年号です。これは中国の元代のもので、わが国では南北朝時代の延元4年(南朝1339年)、暦応2年(北朝1339年)にあたります。
ここは古くは「枳根庄」という荘園でした。北摂最大規模の城郭、山辺城や森上城、今西城、山田城、上杉城などがあり、清和源氏の流れをくむ西郷衆という小武士団が土地を守っていました。
枳根命
が降臨したとされる天神山で、川西を領有していた塩川家と西郷衆が戦闘になったのが、天文18年(1549)の「岐尼宮合戦」です。森上城には能勢東部の能勢氏の一族が入り、南方の山下城主である
塩川伯耆守
と対峙した結果、森上城主能勢小重郎を大将とする西郷衆が勝利しましたが、社殿は消失し、社記や古文書は失われました。(能勢町史1、739P)
その後も戦乱は続きましたが、江戸時代初期の慶長10年(1605年)に社殿が再建され、さらに江戸時代中期の享保12年(1727年)に修復されました。
江戸時代は「枳根大明神」と称していました。江戸時代に大塩平八郎の乱などに誘発されて起こった「能勢騒動」は、ここが蜂起の場所になっていました。