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「 でっちようかん、能勢栗もなか。町民の暮らしに欠かせない和洋菓子を製造販売する木田菓子店 」

でっちようかん、能勢栗もなか。町民の暮らしに欠かせない和洋菓子を製造販売する木田菓子店
  • 町の暮らしに欠かせない素朴なロングセラー
  • 老舗やホテルで修業。和菓子、洋菓子、フランス菓子を習得
  • 安くて、おいしい

能勢町で、地元の人に古くから愛され続けている一軒といえば、和洋菓子を製造販売する「木田菓子店」。現在は、二代目と三代目夫婦が営んでいます。今回は、迷うことなく店を継ぎ、大人から子どもまでの別腹を支えている三代目の福西克敏さんに、お店の歴史、お菓子のこと、お菓子づくりへの想い等をおしえていただきました。

町の暮らしに欠かせない素朴なロングセラー

能勢町で、地元の人に古くから愛され続けている一軒といえば、和洋菓子を製造販売する「木田菓子店」能勢町に二つの銘菓があることをご存じでしょうか。一つは、11月から3月までの冬季のみに販売している「でっちようかん」。もう一つは、能勢町が原産で特産品の銀寄栗を模した「能勢栗もなか」。

どちらも、能勢町民にとっての暮らしに欠かせない愛すべき「地元菓子」。ふとしたときに食べたくなる日常菓子であり、お遣い物として手渡したい土産菓子です。

素朴な見た目と、素朴な味わいは、山里の静かな風景を目にしたとき、又、山里で暮らす人に触れ合ったときと同じ感覚。どこかなつかしい気持ちで親しめます。これらの両方を製造販売している店が、今西地区の今西商店街にある「木田菓子店」です。

和菓子と洋菓子が違和感なく並べられているのが木田菓子店の特徴。

創業は、昭和一桁。初代が同店すぐ近くの酒類等を販売する「木田由(きだよし)」(現:木田酒店)の店主と兄弟だったことから「木田由支店」としてスタートしました。現在86歳の二代目が生まれる少し前のことです。

アイデアマンだった初代は、創業当初から数々の看板商品を生み出します。最中で自家製の粒餡をはさんだ「能勢栗もなか」が、その一つ。その他、白餡を包んだ薄皮饅頭「きねんだ」。季節の花の模様が愛らしい色とりどりのもちもちとした生菓子。形も味も現在まで受け継がれているロングセラーです。「でっちようかん」は不明な点が多く、いつから製造販売をしていたかもわからないとのこと。

和菓子からはじまり、洋菓子も、一時期は喫茶も

お菓子のラインナップは代が替わるごとに変化していきました。最初は和菓子のみ。饅頭づくりの修業をした初代が、田舎饅頭といった日本の定番饅頭類を中心に、前出の生菓子、四季折々の和菓子、さらには、かつての冠婚葬祭で配られた砂糖の中に餡を入れる砂糖菓子づくりにも力を入れていました。このことは、店内のショーケースに飾られている鯛、鶴、竹、蓮といった30個程ある菓子木型から知ることができます。量り売りや市販の菓子も取り扱っていました。

一時期は、妻による、当時は最先端だったコーヒーを出す喫茶スペースを併設。町内唯一の憩いの場として、隣接する銀行、その隣にあった西能勢村(1956年に他の村と合併して能勢町となる)の役場に勤める人たちで賑わっていたそうです。

洋菓子の修業をした二代目が手伝うようになってからは、カップケーキ、ロールケーキ、バターケーキ等の気取らぬ普段使いの洋菓子が加わるように。高度成長期あたりは、老いも若きも今以上にこぞって買い求めていました。

5か所で修業。和菓子、洋菓子、フランス菓子を習得

三代目の福西さんは、子どもの頃から何かを作ることや料理が好きだったこともあり、小学校高学年より、初代のおじいちゃんから餡づくりを教えてもらいつつ手伝うことが日常となっていました。

「継ぐもんやと思っていました。宿命ですよね」と、高校卒業後は、迷うことなく製菓学校へ。その後、「色々なところを見たかった」と、個人が経営する老舗等の店舗4軒とホテル1軒で修業を積み、和菓子、洋菓子、フランス菓子づくりを習得。「目的は実家でしたし、ひと通り学べたし、自信もついたから」と、1997年、32歳のときに戻ってきました。

初代から教わった餡づくりを今につなぐ三代目の福西さん。

現在は、和菓子のほとんどと洋菓子のすべてを作っているとのこと。今もなお地元の冠婚葬祭や集まりからの注文は多く、最近では、能勢町の名所にちなんだ焼き菓子も増やしていることから、一日の大半が仕込みの時間に。そのため一時はショートケーキ類をやめようと考えていたそうです。「でも、お客さんが求めて買いに来てくれはるから」と継続。

できるだけ安くて、おいしいものを提供したい

ショートケーキは、種類を増やしたいという想いを持ちつつも、5種類程の定番に限定。チーズケーキ、フルーツのケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、ロールケーキ…。材料の卵は、子どものころから食している新鮮な地元産を使っています。

人気が高いのはパイ生地を使った、コルネ。カスタードクリームは、地卵と牛乳と砂糖のみを使い、香り付けを敢えておこなわず。オーダー後に詰めるため皮がサクっ。

もちろん、創業当初からある数々の和菓子も継承しています。すべてのお菓子が手軽に買える価格であることも、ずっと変えていないこと。

「家族だけでやっているし、家賃が要らないから、そのぶん価格を下げています。できるだけ安くておいしいものを提供したいですから」

和菓子78円~、焼き菓子130円~、ケーキは290円~、コルネ180円(2022年1月現在)。

受け継いだシンプル・イズ・ベストを自分なりに進化させる

現代は、SNS全盛。外側へ問いかけ、目立つこと、刺激的であることに力を注ぐ人が多く、そのために「加える」ことが当然であるかのような時代です。

一方、木田菓子店は、デコレーションケーキでさえ、飾らない。加えない。変えない。

「色々と学んで、流行りのものも作ってみて、わかったことは、ごちゃごちゃしていない日本のケーキがいい、ということ。シンプルなケーキが好きです。子どものころに食べていた昭和の和菓子や洋菓子の印象が強く残っているからでしょうね」

先代二人の仕事ぶりを子どものころから目にし、肌で感じ、味わってきた福西さんにとっては、「シンプル・イズ・ベスト」が当然であり、自然であり、自分なのです。このことは、木田菓子店の在り方、つまり伝統を受け継いでいるといえます。だからこそ、いつも心掛けていることは、「いかに同じように作るかです。同じように作っていても、同じようにいかず、気づくことがありますから」

趣味は、レトロな車とバイクに乗ること。休日は、愛車でのドライブや仲間との交流を楽しんでいます。「アナログ人間やから、昭和なものが好きで、50年前の車を35年間乗っているし、40年前のバイクにも乗っています。服装も70年代が好みですね」

「ブームは、ちょっと間だけやから」と、一過性の流行は好みません。自分が良いとするものを大切にし続けることは、すべてにおいて一貫しているようです。それゆえ、言えることは、ただ一つ。

「昔からの、ええもんは、ええ」

理想のお菓子づくりについての質問をしてみると、やはり、という答えが返ってきました。

「流行にとらわれず、よりおいしく、自分なりに進化していくことです」

今の自分はどう感じるか。うちのお菓子はどうか。内側に問いかけ、黙々とひたすら進んでいく。木田菓子店の素朴な地元菓子を、一口、また一口、この言葉と共に噛みしめてみると、なつかしさと一緒に、脳裏に何かが閃くかもしれません。

※撮影時は衛生手袋を外していただきました

でっちようかん、能勢栗もなか。町民の暮らしに欠かせない和洋菓子を製造販売する木田菓子店

福西克敏さん
(ふくにし・かつとし)

1963年生まれ。生まれも育ちも能勢町。製菓学校を卒業後、計5軒の菓子店やホテルで修業を積んだのち、昭和初期創業の菓子店を32歳で継ぐ。能勢で働くメリットは、仕事がひと段落したとき、又、スムーズにいかないときに、自然がそばにあること。長谷地区にある棚田まで自転車で走り、風景を眺め、四季を感じてリセットすることが習慣。

でっちようかん、能勢栗もなか。町民の暮らしに欠かせない和洋菓子を製造販売する木田菓子店
木田菓子店
住所 大阪府豊能郡能勢町今西203-11
TEL 072-734-0730
休業日 第1日曜日・第3日曜日

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能勢町は大阪府の最北端(てっぺん)に位置する人口9500人の町です。美しい棚田や樹齢千年以上の大ケヤキ、浄瑠璃やだんじりなど、先人から受け継いできた自然環境や伝統文化が残っています。
大阪・京都・神戸から1時間程で行ける、都会から一番近い里山です。

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