さとふる能勢町へ

のせむすび

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第二回:農村の財産を次につなぐ。田舎ならではの「温かい流動性」のヒントがそこにあった。やまはる農園の事例。

どうも、高江です。第1回の投稿からだいぶ時間が経ってしまいました・・・ あっという間に春、そして暦の上では夏。この冬は栗の剪定作業やら、町の聞き取りやら、里山技塾のことやら、諸々しているうちに、いつの間にか町内のどこにいても「あ、高江君。」と、誰かしらに出会うぐらい、町の方に知っていただくようになりました。いやあ、人気者はつらいなぁ笑 ときどき町内でサボっているときもあるかもしれませんので、見かけた方は「サボっとらんと仕事せえ!」とお声かけください笑

第二回:農村の財産を次につなぐ。田舎ならではの「温かい流動性」のヒントがそこにあった。やまはる農園の事例。

とある農家さんの引退

「で、なんで能勢に来ようと思ったん?」
ですが、その前に、、笑

ある「元」農家さんへの取材を通じて思ったことを綴りながら、今後の田舎のあり方を今回は考えることにしたいと思います。
今年の3月まで大里で「やまはる農園」という屋号で農業を営んでおられた山下順さん・叔子さん夫妻。

能勢のそば切り蔦屋でも「やまはる農園」の野菜が使われていた。

順さんは私の大学の先輩でもあります。
順さんは学生時代、ラオスを旅したときに自然と共に暮らす人々を目にし、その暮らしに憧れ、帰国後「半農半X」の著者・塩見直紀さんに会いにいきます。大学を卒業後、能勢に住んでおられた尾崎歩さんという方に弟子入りするため、13年前に能勢にやって来て農業の世界へ。

一方の叔子さんは、大学で油絵を専攻し卒業後、カフェで働きながらアトリエを営むと言う生活を10年続けていました。幼い頃から農家への憧れがあったこともあって、イベントに参加しているうちにそこでの暮らしに憧れるようになり、その農場で2年住んだ後に叔子さんも農業の世界へ。能勢農場(よつば農業塾)で農業を学ぶことになりました。

そんな経緯でそれぞれ能勢に移住して農家として独立し、ご結婚後は夫婦で農家としての日々を送っておられていました。お二人がつくるお野菜は人気が高く、町内の飲食店でも仕入先にしていたところも多く、町内でもそれなりの知名度がありました。
「宅配のようにお客さんの顔を見ないとモチベーションが上がらない」という順さん。作ったお野菜は配達、直売、朝市などで販売しており、買ってくださる方とのコミュニケーションを大事にされていたそうです。「この野菜はこんな風にして食べてもらいたい」特に飲食店だと、そういったコミュニケーションができ、思いが通じやすかったといいます。

そんな移住してきた若手農家として軌道に乗った生活。しかしながら、今年3月にお客さんや能勢の方々に惜しまれながらも引退されてしまいました。
何があったのでしょうか?

能勢大里で「やまはる農園」という屋号で農業を営んでいた山下順さん・叔子さん夫妻。22年春で引退し、新規就農の土居裕和さん(右端)が家・農地・機材などを引き継ぐ。

実は、お二人ともこの4月から生駒市の神学校へ入学されたのです。順さんのご実家は牧師をされていたこともあり、順さん本人もクリスチャン。しかし、もともとは熱い信仰はなかったそうなのですが、2年前にお兄さまが他界したことをきっかけに、本格的にクリスチャンの道へと進んでいくことに。お兄さまの容態が危ないというときもちゃんと彼のために祈れていなかった自分がいたことに気づき嘆いたこともあったそうです。

そんななか、お野菜の宅配先である箕面の牧師さんに通信の神学校短期コースを勧められ、通うことに。そこでの学びから、自分は神様の道に導かれていると感じるようになり、以降人生の軸が農業から神様へと変わったそうです。「もともと農業から抜けるつもりでなかったし、本意でもない。でも、この道は神様が示しているものだと感じているんよ。」

立つ鳥跡を濁さず

農業を引退され、能勢を離れてご夫婦で神学校に入学したお二人。じゃあ、家や農地はどうなったのでしょうか?
山下ご夫妻、そこは地域の方々や多くのことにも配慮し、家・農地・農機材などすべて「ボクサー」こと新規就農の土居裕和さんに後を託し、耕作放棄地や空き家は生んでいません。土居さんはコンピュータ関係のお仕事をされていましたが、農業を仕事にしたいとやまはる農園研修生として、山下ご夫妻のもとで農業を学んでおられました。そして、全てを引き継ぎ、この4月より独立しました。

田舎に住むうえで、心得なければならないのは家も畑も山も「放ったらかし」にしないこと。放ったらかしにすれば、荒れ果て、再び活用するのにお金も時間も労力もかかってしまいます。そのうえで、山下ご夫妻は、本当に綺麗に能勢を去って行かれました。

能勢で最後の農作業をする山下さん

「家」の財産という価値観の変化

僕が順さん・叔子さんご夫婦への取材を通じて思ったことは、「田舎の資産の流動性」のモデルをどうつくっていくかということです。
能勢町でも深刻な課題なっている耕作放棄地や空き家問題。「能勢で田舎暮らしがしたい」そう思っておられる方が多くいる一方で、なかなか空き家や田畑の貸し借りがうまく進展しないという問題もよく起こります。
古くから能勢にお住まいの方々が心配しているのは、都会から来た人が農家として移住してきたけど、その大変さにギブアップして出ていってしまうことや、「農地や家は、今は都会に住んでいる息子にいずれ譲りたいから誰にも貸されへん」というように他人に貸すことで血縁関係者に相続がうまくできないことなどです。実際、日本各地で同じような事例がたくさんあります。

しかし、実情は都会に住む「息子たち」はすでに都会に家を買って家族がいるという場合が多く、そうなれば、戻ってきて家や農地を引き継ぐ可能性はかなり低くなってしまいます。それでも田舎に住む「親」の方々は息子が財産を引き継ぐかもしれないからと誰かに貸さずに置いておくという選択肢を取られることがよくあります。また、家を「一族の会館」のように年末年始やお墓参りなどのときに集まる場所や別荘として使用する場合もあり、一概に「空き家」と言い切れない場合もあります。

当然、そういった意志は尊重されるべきですが、こういったデリケートな問題だからこそなかなか流動性が生まれず解決しない田舎の農地・空き家問題。常にそこに住んでいる人がいない、耕作している人がいないということは、村落経営にまた一つ穴が空くということです。だから、「放ったらかし」が生まれないようにうまく次の世代へバトンタッチしていく必要があります。

一方、僕たちのように世代が下がってくると、「家の財産」という価値観が薄れ始めているように思います。仏壇や仏事をどうするかなど、核家族のなかで過ごした家庭ほど「お家」という感覚もなくなり、そういった「家の財産」を息子に継がせるという感覚は薄いのではないでしょうか。そうであれば、今後世代が下がると、家や農地を「誰か」に渡して構わないという考え方も増えてくるはずです。

しかし、このような都会的な感覚でありすぎるのも考えもので、こういった財産を「カネ」としか認識しておらず、そこに血が通わずマンションのようにただただ流動してしまうと、超個人主義的で村落経営へ介入しない人や田舎で必要な協調性を持たない人がやってくる可能性もあるわけです。

大切に扱ってきた農地や道具を、放置することなく次の人に託し、綺麗に去っていった二人。

そんななかでの山下ご夫妻の生き方というのは、これからの能勢の暮らし方の一つの指標ではないかなと思います。田舎暮らしは当然楽しいことばかりではないですし、都会の生活で育った人にとって思いもよらない苦労だってあるものです。そこでミスマッチが起こる可能性もあります。また、親の介護で田舎暮らしが難しくなる場合や山下ご夫妻のように田舎生活に順応している方でも次のライフステージへと進むことだって今の社会ならあり得るわけです。

そんななかで、村落経営やご近所のため、出て行く側も綺麗に出て行くお作法を守っていれば、ある程度は自由にさせてあげていいじゃないという雰囲気が町の中で醸成されれば、もう少し田舎の財産にも流動性が生まれるんじゃないかなと思っています。今の子ども世代だって必ず能勢に残るかは本人の意志なわけで、昔のような「家に縛られる」ということもほぼないでしょう。しかし、都会的なカネだけで動く「冷たい流動性」でなく、田舎ならではの血が通った「温かい流動性」のある社会を目指して、能勢の空き家・耕作放棄地問題に僕は取り組みたいと、山下ご夫妻への取材を通して思った次第であります。

山下順さん、叔子さん、取材協力ありがとうございました。
次回こそ、なんで能勢に来ようと思ったかについてお話ししたいと思います笑

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「のせむすび」は、能勢町で生活する人々の暮らし方や仕事ぶりなどを取材し、大阪のてっぺんから様々な情報を伝えるメディアです。
今まで知らなかった能勢の人やモノに出会い、新しい価値が広がり、この地に幸せな循環が生まれますように。

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能勢町は大阪府の最北端(てっぺん)に位置する人口9500人の町です。美しい棚田や樹齢千年以上の大ケヤキ、浄瑠璃やだんじりなど、先人から受け継いできた自然環境や伝統文化が残っています。
大阪・京都・神戸から1時間程で行ける、都会から一番近い里山です。

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